前回は中学から高校までを振り返ったので、今回は大学時代から独り暮らしを始めた頃の話をしよう。
大学に入ってから、新宿駅が乗り換え駅だったこともあり、ちょくちょく西口のイエローサブマリンに寄るようになった。TCGや美少女フィギュアにまったく興味がなかったので、目当てはボードゲームの置いてある3階の店舗である。入口から一番遠い壁際にボードゲームの箱が所狭しと並ぶ光景は心躍るものがあった。また、その手前のショーケースには安価なカードゲームが陳列されていて、どんなゲームなのかはわからないが、パッケージを手に取っては内容を想像したものだった。くにちーのコロッサルアリーナやシャハトのナッシュ、旧版の傭兵隊長、ガルゴンが並んでいた記憶がある。このイエローサブマリンではムーンのエルフェンランド、フェドゥッティのドラゴンズゴールドとあやつり人形(初期バージョン)、クラマーの6ニムト、ドーラのブクブク、その他にも新版のアヴェカエサル、うさぎとはりねずみ、ククなど、徐々に広まりつつあったアナログゲームの入門編的なものを購入していた。
ゲームを購入したはいいが、問題となるのはプレイする機会である。学生時代は実家暮らしであり、社宅で狭かったため、家に呼ぶわけにはいかないから、友人宅やサークルの部室に持っていく必要がある。が、当時は周りにそうしたゲームをプレイしている人間がおらず(マジック・ザ・ギャザリングのプレイヤーはいた)、せいぜい合宿の際に持っていく程度だった。
この頃に影響を受けた書籍は、安田均の「ボードゲーム大好き!」と、オフィス新大陸の「ボードゲーム天国(パラダイス)vol.1,2」、同「ボードゲーム王国(キングダム)vol.1,2」である。中学生以来のボードゲーム本であったが、これをむさぼるように読んだ。この頃からドイツ年間ゲーム大賞(SDJ)とドイツゲーム賞(DSP)を意識するようになる。とはいえ、実家暮らしゆえに場所をとるゲームをそうそう買うことはできない。脳内で楽しむ日々が続いた。
大学院の卒業と同時に独り暮らしを開始すると、ようやく自分の自由になるスペースが確保できた。ベンチャー企業で安月給ではあったものの、飲み会もなく他に使い道がなかったため、月に2個ほどの割合でゲームが増えていき、やがてダンボール1箱が2箱になって…というボードゲーム増殖期に入った。このまま際限なく増えるかと思った矢先、会社を辞めることになり、ボードゲームの増殖はいったん収まることになる。退職の理由は明快で、社長の気狂いに辟易したことと、事業の先細りが見えたことが退職届を出させた。もちろん気狂いである社長は退職日が1か月以上先にも関わらずビルに入るためのカードを没収し、常に施設の受付でゲストカードの交付を受けざるを得ないという不利益を被った。
ベンチャーでの最後の仕事は、情報科学系のシンポジウムでの発表だった。よくわからないまま発表者にさせられ、また発表内容がシンポジウムの内容とはまったくかけ離れていたこともあってだいぶ精神的に疲弊したが、実はこの時の発表を大学のサークルOBが見ていて、そのOBと数年後に飲んだときにボードゲームの同好の士であることが判明、今にいたる月イチのクローズ会の元となった。
次回は最初の仕事を辞めてから現在に至る内容を採り上げよう。