ボードゲームの雑感「Barrageに登場する国を考える」

前回前々回ボードゲームにおけるダムについてあれこれ考察してみたが、今回はそのオマケである。ダム上部コマの形から、各国の建設するダム型式を前回の記事の最後に述べたが、「Barrage」に登場する国は、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、オランダ(拡張)の5カ国だ。ではなぜこの5カ国なのかを考察してみたい。

 フランス

 「Barrage」は実在の国、地域の名を借りた架空の世界線を背景としていて、ダムの建設予定となっているのはアルプスだ。よって、アルプスに接しているフランスがゲームに名を連ねているのは当然だろう。また、フランソワ・ゾラ*1アンドレ・コイン*2という名高いフランス人ダム技師がいたことから、高いダム技術を持った国ということができ、Barrageへの参加もうなずける*3

アメリ

アメリカは地理的にアルプスには全然縁がないが、ゲームの背景を考えると、アメリカの企業が関与してくる状況は理解できる。このゲームの舞台は1922年のアルプス(ちなみに拡張は1923年)で、数年前に大戦があり、ニコラ・テスラによるエネルギー革命がおきたことが語られている*4。してみると、第一次大戦がヨーロッパを中心に起きており、それまでは現実の世界と同様の歴史を歩んでいたと推測できる。第一次大戦では19世紀に栄華を極めたイギリスが枢軸国との戦争によって疲弊し、その地位をアメリカに明け渡した。アメリカは戦場となって荒廃したヨーロッパの疲弊を尻目に繁栄を謳歌し、ヨーロッパに投資を行った史実を考えれば十分にうなずける。

また、フランスと同様にアメリカ人でも著名なダム技師が何人もいる。例えば世界大恐慌対策として打ち出したニューディール政策の一環で、テネシー川流域開発公社(TVA)の初代会長となったアーサー・モーガンや、ロサンゼルスの水源開発を通じてロス発展の父と呼ばれたウィリアム・マルホランド*5などだ。やはりアメリカもBarrageに参加する資格は十分にあるといえよう。

イタリア

さて次はイタリアだ。イタリアもフランスと同様、アルプスに接していることから、地理的な条件は満たしている。また、最新の電源開発状況によれば、イタリアは国内の発電容量の20%が水力発電とのことなので*6原子力がメイン電源で原発の調整力として不可欠な水力*7の割合が多いフランス並に水力の発電容量比率が高い国である。

イタリア人にも著名なダム技師がいる。ヴェネト地方のアルプス山中を中心に数多くのダムをつくった技師、カルロ・セメンツァである。しかしながら、彼が晩年手掛けたバイオントダムは、竣工のわずか3年後、大規模な地滑りで大量の土砂が一気にダムに流れ込んだ影響でダムから水が大量に溢れ出し、川沿いの村を襲い、実に2100人以上の犠牲者を出した*8(ちなみにセメンツァ自身はダム竣工の1961年に亡くなっている)。

ドイツ

そしてドイツである。Barrageにこの国が参加していることが、おれにとっては最大の謎であった。舞台となる場所の具体的な記述がないが、フランス・アルプスと記述されていることから、ドイツが接しているアルプスではなさそうだ。ということはスイスを挟んだ向こう側のダム開発に積極的に関与する動機が乏しい。またおれの調査能力ではこの当時、アルプス(フランス側だけではなくドイツ国内および国境が接しているオーストリアのアルプスも含めて)にドイツのダムが存在していたことが確認できなかった*9。ドイツを流れる河川(というよりもヨーロッパの河川全般)は傾斜が緩やかで、渇水期と洪水期の水量の倍率が日本に比べて低いため*10、そこまで治水用のダムが必要なく(=上流にダムを作らなくてもよい)、さらに発電目的であっても、地形的に国土の中央部が高原となっていて、そこにダムを作っても落差が望めるから、わざわざアルプスに作る動機が薄かったのではないかと思う。

既存のダムの存在だけではなく、1922年という年代(ルールブック冒頭の場面は1922年10月17日だ)についてもドイツが参加していることに違和感がある。1919年に第一次大戦の対ドイツ講和としてヴェルサイユ条約が結ばれたのは、歴史の学習で知っている人も多いと思う。ヴェルサイユ条約は一言で言えば「戦争の原因を作ったドイツ許すまじ」というもので、軍備の縮小はもちろん、最も過酷だったのは賠償金であった。講和条約自体は1919年だが、賠償金の妥結は難航して、1320億マルク(約66億アメリカドル)と決定したのは1921年。30年賦ではあったが、1年の支払額ですらドイツの支払い能力を遥かに超えていた。さらに通貨切り下げで紙くずになったマルクでの支払いを防ぐために外貨での支払いが要求されたことから、無理な外貨獲得のためにマルクの価格が下落、早くも1922年前期の支払いが困難となった。結果、1922年前半に320マルク=1ドルだったものが12月には7400マルク=1ドル、1923年11月には4,210,500,000,000マルク=1ドルといったハイパーインフレに陥った*11。さてこんな状況で莫大な資本が必要となるダム事業(しかも国外)に参入できるだろうか。煮え湯を飲まされたフランスに対する敵愾心での参加、という理由はつけられるものの、「ドイツのダム技術は世界一ィィィィィィィ!」とかいうのでなければBarrageにドイツが参加する妥当性は見られない。

オランダ

拡張から参加しているオランダ。アムステル“ダム”やロッテル“ダム”のあるこの国が参加するのは当たり前で説明不要…と思いきや、実はそうでもなかったりする。オランダはライン川下流部の低湿地帯に位置する国で、昔から河川の氾濫や海からの浸水に悩まされてきた。そのため、至るところに堤防が築かれ、その堤防をダムと呼んだのだ。アムステルダムロッテルダムは堤防の町であるがゆえの名称である。ダムは水を溜めることで水資源を利用したり洪水を防いだりする設備だが、堤防は川や海の氾濫を防ぐための“壁”なわけで、堤防づくりの技術があったとしてもダムづくりの技術があるとは言えない。実際に現代のオランダにおけるダムは11基で、そのいずれもがアースダム(早い話が土を固く締めただけのダム)であり、そのほとんどが高さ30m未満のダムだ*12 。ちなみにアースダムには水力発電設備が設置できないので、オランダの電源構成に水力発電は含まれていない。ダム技師についても著名なオランダ人は聞いたことがないし、ドイツほどではないにしろ、オランダは謎の選抜と言える。それゆえの拡張からの参加なのかもしれない。

日本

日本はBarrageに参加していないが、補足の意味も込めて書いておこう。

日本は国土面積に対してダムの数が非常に多く、知られざるダム大国である*13。国土を流れる河川の河況係数が大きく、水がない時期はほんとにないし、水が多い時期は水害を引き起こすほど多い。そうした河川の水量増減と農業で水が必要となるタイミングが合わないことが多いため、水を溜めておくための知恵、洪水をおこさないための知恵が古くから蓄積していた。日本全国に見られるアースダム(溜池)や堤防はその結実である。

明治維新後の殖産興業では主となるエネルギー源は石炭だったが、日露戦争の後から重化学工業へのシフトとともに電力工業も発展し、第一次大戦を基に水力発電が著しく発展した。Barrageの舞台となるこの時期に、日本でも発電ダムが多く作られるようになったわけだ*14

また、優秀なダムの技師たちも日本にいた。物部長穂*15、佐野藤次郎*16八田與一*17などだ。もし日本がアルプスに近かったら、おそらくBarrageにも参加していたのではないかと考える次第である。

《参考文献》

  • 「ダムの科学 知られざる超巨大建造物の秘密に迫る」一般社団法人ダム工学会 近畿・中部ワーキンググループ・著(SBクリエイティブ,2012)
  • 「川のなんでも小事典」土木学会関西支部・編(講談社,1998)
  • 「巨大ダムの”なぜ”を科学する」西松建設「ダム」プロジェクトチーム・著(アーク出版,2014)
  • 「ダムと緑のダム 凶暴化する水災害に挑む流域マネジメント」虫明功臣、太田猛彦・監修 日経コンストラクション・編(日経BP,2019)
  • 「ダム大百科」萩原雅紀・監修(実業之日本社,2020)

*1:世界最初のアーチダムの設計者。ダムの竣工は1854年だが、ゾラ自身は1847年に死去。ちなみに文豪のエミール・ゾラの父でもある。

*2:国際大ダム会議の総裁も努めた技師。国内外で100以上のダムの企画、設計に携わったという。しかし、1959年に自身が設計に関わった、当時世界一薄いアーチダムと言われたマルパッセダムの崩壊事故が発生し、ダム下流の住民400人以上が犠牲になった。これを苦にしたコインは自死した。

*3:ただしマルパッセダムの崩壊事故を境に、フランスは大規模水力開発からは手を引いた。

*4:ルールブックより。

*5:ただし、彼もアンドレ・コインのように、自らが手掛けたダムが竣工のわずか2年後に崩壊し、下流住民400人以上の死者を出したため、その責任を問われて有罪となり、失意のうちに亡くなっている。

*6:出典は電気事業連合会webサイトよりhttps://www.fepc.or.jp/library/kaigai/kaigai_jigyo/italy/detail/1231535_4797.html。ちなみに発電容量は実際の発電量ではなく、電源のポテンシャルの大きさであることに注意。

*7:原発は未稼働からフル稼働までの電源起ち上げやフル稼働から停止まで非常に長い時間がかかるため、電力需要が少ない時間帯でも出力を絞ることができない。しかし、電気は貯めておけないので、需要が少ない時間帯は原発の電気が余ってしまう。その余った電気を使って、水力発電のために放水した水をポンプで再びダムに汲み上げておけば、また水力発電用に使える。いわばダムを巨大な蓄電池とみなすのだ。こうした用途のダムによる発電を揚水発電と呼ぶ。原発が多いほど、調整力として揚水発電も必要になる。

*8:この災害はユネスコの世界最悪の人災ワースト5にも選ばれている。ちなみにダム本体はこの急激な水圧変化にも耐え、構造上の耐久性が証明されたが、周囲の山の地盤の特性で同様の事故が起きる可能性があり、本体はそのままにダムとしては放棄され、水は溜められていない。それでも人気の観光スポットらしく、見学ツアーも存在する。

*9:唯一、シュツットガルトのあるバーデン=ヴュルテンベルク州のシュルックセに古くからある貯水池があり、1930年前後にダムが建設されたのを確認したのみである。

*10:これを河況係数と言う。ヨーロッパの河況係数は総じて低く、ライン川で16、セーヌ川で34程度だが、日本の河川は筑後川で8671、利根川で1782、黒部ダムのある黒部川で5075(いずれも観測史上の最高値。10年平均だとそこまではいかないが、昨今の水害状況を見るに、10年平均の値も増えている可能性はある)。筑後川の例をとれば、雨があまり降らない時期と降る時期で河川の流量が最大で8671倍異なるということである。

*11:パン1斤の価格が1922年12月には160マルクだったのに、1923年後半には2000億マルクである。

*12:出典は一般社団法人日本大ダム会議のwebサイトよりhttp://jcold.or.jp/j/dam/dam_euro/dam_netherlands/

*13:ただし土地が狭いため、貯水量という観点では広大な面積を要するバカでかいダムを持つ国には及ばない。

*14:ちなみに日本初のコンクリート式発電ダムは栃木県の黒部ダム(1912年竣工)。

*15:関東大震災を機に耐震設計の基本を作り、1925年に「貯水用重力堰堤の特性並びに其の合理的設計法」を発表して重力式ダムの設計の基礎を築いたことで知られている。

*16:日本初の重力式コンクリートダム布引五本松ダム(1900年竣工)をはじめ、国内初の土木コンサルタント会社を創設してアメリカの最新技術をさまざまなダムに応用した。

*17:台湾総督府の技師として設計・工事を指揮した烏山頭ダム(1930年竣工)を建設、当時の世界最大級の有効貯水量を誇るダムとなった。