ゲームに限らず何らかの創作物の評価について常につきまとうのは名作、駄作といった論争である。もちろんその論争の土台にすらあがらないものも無数に存在するのだが、知名度が高いものであればあるほど、そうした論争の的にさらされる可能性は高まる。今回は5chのスレで興味深い議論(5chという特性上、自分の考えの押し付け合いではあって議論とは程遠いが…)があったので、今回はそのスレから名作とは何かを考察していきたい。
そのスレを発見したのは、別途進めているドラクエ3のプレイをはじめたときだ。正確にはこのスレを見たからこそドラクエ3をはじめたのである。
きっかけとなったのは、スレはこちら。
いい加減認めようではないか。DQ3は糞ゲーだったと [転載禁止]©2ch.net
※5chなので、開いた瞬間エロ広告が表示される可能性があるため、周囲の環境には十分注意のこと。
今回の記事で注目したいのは、特定の個人による13~26(25は除く)、28~33(32は除く)の発言である。長いので、文中の下品な要素を配して要点のみを抜粋するとこうだ。
- パクリだらけ(キャラメイク、転職、酒場、昼夜の時間)
- ストーリー性が乏しく後付設定ばかり、実はDQ1につながってましたという安直なオチ
- キャラメイクは職業と性別のみでキャラメイクとは言い難い
- 転職システムもただの賢者量産システム
- そもそも職業ごとの有利不利がありすぎる職業、転職システム
- 後付設定ばかり
- DQ6,7は無駄に長いと言われているが脚本と設定を盛り込んだ努力は認められるが、DQ3はそうした努力が感じられない。蒸し返し前提(注:おそらく裏の世界であるアレフガルドでDQ1と同じことをさせられるということを言っているのだと思われる)
- 良いとはいえないゲームバランス。上級職は賢者のみ。ゲーム難易度が低い。特にダーマ神殿以降(注:カンダタ2回目以降と思われる)は地上世界の終盤までレベル上げ不要のため成長実感がない。一人で潜らなくてはならないダンジョンも敵が弱い
- 低い難易度を更に下げる防御キャンセル
- 全体的にグラフィックが地味でドット絵も下手くそ
- 世界地図丸パクリした安易なマップ攻勢
- 王になっても王宮の外に出られない
- DQ3は完全自由と言われているがそう思えない(注:自由度について言及はあるが完全自由と言えるだけの評価は、おれは聞いたことがない)。パーティー構成は勇・戦(武)・僧・魔にほぼ固定、最強にするなら賢者一択しかない
- オリジナリティについても空を飛ぶ乗り物はFFが先、バッテリーバックアップはミネルバトン・サーガが先、職業はウィザードリィやウルティマが先
- 以下、DQ3とDQ7の比較(注:コメントの主はDQでは7が一番と考えているらしい。この比較部分がおれが一番笑った箇所であった)
項目 寸評(笑) グラフィック ドラクエ7の完全勝利 音楽 ドラクエ3は小学生の鼻歌レベル、ドラクエ7は心に響く感動の音楽 ストーリー ご都合主義のドラクエ3、幾重にもドラマが重なるドラクエ7 世界観 徐々に世界が広がっていくドラクエ7、3歳児の絵本レベルのドラクエ3 戦闘 ドラクエ3はコマンドが少なく防御攻撃でヌルゲー、ドラクエ7は多彩な特技や呪文をあわせて戦略を練れる キャラクター ドラクエ3はキャラクター性皆無。ドラクエ7はキャラの表情豊か やりこみ度 7はクリア後ダンジョン、職業、レアアイテム等、長く遊べる。3は賢者量産するだけ 満足度 ドラクエ3は中身がなくて皆無。ドラクエ7は大作でストーリーが複雑かつ重厚、満足感最高 操作性 ドラクエ7はCD-ROMだがロード時間ほぼなし、道具コマンドも使いやすい。ドラクエ3は預かり所がたるい 売上 ドラクエ3は380万本、ドラクエ7は411万本 - 結論としてDQ3は昭和時代の恥じるべき作品
と、ここまでがDQ3がいかにクソゲーなのか、ということを延々と語り、次にこれがなぜ「名作」と呼ばれているのかを考察している。再び要約する。
- DQ3が名作と言われているのはアンケート人気でしかないし、アンケート対象そのものも疑わしい
- 凡作だがブームを背景にしたメディアの過剰評価による賜物。つまり知名度でしかない
- ゲームをほとんどしたことがないにわか支持層に持ち上げられただけ。ウィザードリィやウルティマ、DQ1、2のように真のコアなファンに支持されてこそ名作
- 漫画家の江川達也もDQ3は面白くないと言っている(注:笑うな!)
まあこんなところだろう。大変なイキりようである。ブームが起きた漫画版の「君たちはどう生きるか」の出版が2017年。本スレは2015年。時代を先取りしたイキりと言えよう。というわけで、このコメントを残した人物を、この記事ではイキリ君と呼ぶことにする。
名作とは何なのか
おれは特にDQ3信者でもなんでもないが、イキリ君の主張が穴だらけ(苦笑だらけというほうが的確か)であって、逐一コメントを返すこともできる。しかしそれはこの記事の主旨とずれるので、ここでは触れない。注目すべきは、イキリ君がDQ3がなぜ「名作」と世間から言われていることに違和感(嫌悪感?)を抱いているか、という点だ。彼の主張を眺めると、オリジナリティと自由度をとかく重視しているように見える。乱暴にまとめるならば、「オリジナリティも自由度も低い作品は名作ではない」「とにかく知名度だけあれば名作と呼ばれるのは我慢ならぬ」とでもなるだろうか。
この見解について、おれは特に同意はしないが反論もしない。「名作」とは何かという論争はそこかしこで行われるが、何をもって「名作」とするのか、その定義が人によって様々だからだ。わかるのは、その人が考える「名作」の定義のおぼろげな輪郭だけである。
「いやいや、みんなが口をそろえて良いという評価がなされていれば名作でしょ」と言う人もいるかもしれない。だが、「みんな」とは誰が、どれくらいの規模を言うのだろうか*1?「良いという評価」のレベルは?どういう観点で「良い」なのか?こうしたところを突き詰めていくときりがない。
また、イキリ君はドラクエ3と7を比較して7に劣るので3が名作とはおかしい、とせせら笑っているが、実際に「このゲームは○○に劣っているから名作ではない」というような論調を展開する人は、イキリ君以外にもいる。こうした名作ベンチマーク比較手法は、比較対象の作品とベンチマークとなる作品が“同じ”条件にあったときにはじめて意味を持つことがわかっていないのだ。さらにこの手法はベンチマークとなる作品自体が比較対象としてふさわしいのか、その作品は名作なのか、という自家撞着に陥る可能性を多分に含んでいる。
ベタな結論で恐縮だが、結局「名作」についての定義づけは不可能なのだ。
要は楽しめたかどうか、好きかどうか
そのゲームなり作品なりを「名作」と評価する人がいたら、その人は「名作」を楽しめた人であることは間違いない。楽しめなかったゲームを「名作」と評価する人はあまりいないし、楽しめなかったからこそ、そのゲームが「名作」と評価されてモヤモヤするわけだ。が、それであっても業界に与えた評価を無視してそのゲームを貶すのはナンセンスである。
一例を挙げるならば、おれはカタンが嫌いである。なぜならいつ何時プレイしても「楽しめない」からだ。あんまり勝てないゲームであるから、たいして上手ではないのは間違いない。が、勝っても特に嬉しくもない。いつプレイしても、プレイヤー全員が接戦になることがなく、だいたい1人のプレイヤーが大きく引き離されて勝ち目がなくなる展開が多く、雰囲気が重くなるからだ。皆が熟練すればそうした自体はかなり少なくなるのかもしれないが、ダイス目による偏りはどうしようもないし、序盤の盗賊被害の有無は後々まで響く。トップと資源交渉しないことはできるが、不利な条件で最下位プレイヤーと交渉するプレイヤーはいないので、結局そこそこ資源を確保できている2位3位が結託し、最後に2位がごっつぁんする、ということになりがちだ。
というわけで、「カタンやりたい」と言われたら光の速さで「やだ」と即答するおれであるが、嫌いだからといって、必要以上にけなすことはしない。現にカタンを楽しんでいる人はいるわけだし、ルールが多くなってもボードゲームは耐えられる、という前例を作ったカタンの歴史的意義には感謝をしている。カタンがなかったらボードゲームの発展は幾分は遅れ、業界的にも広がりを得なかった可能性もあるからだ。
「名作」というレッテルを貼るのをやめよう
結局のところ、誰もが納得するような「名作」の定義は不可能である。不可能であるにも関わらず不毛な名作議論をする時間があったら、他に有意義な時間の使い方があるはずだ。いや、議論してもいいが「○○は名作。異論は認めない」というイーロン・マスクとの議論はやめておいたほうがいい。議論に発展性がないからだ*2。
本当に好きな作品を語るときは、「あれは名作だよね」とひとくくりにして語るのではなく、「あれは○○がスバラシイんだよね」と、その作品の個々の特徴を挙げて話すのが普通であろう。逆に「あれは名作だよね」という言葉でしか語れない人がいたとしたら、それは本当にその作品を好きな人の言葉ではないのだと思う。イキリ君の「みんなが面白いといっているのに流されたにわか信者」といった類の指摘は、その点では間違っていない。
こないだの35周年を迎えたドラクエのイベント発表でドラクエ3のリメイクが発表されたが、そのニュースをみてイキリ君はどのような感慨をもったのか、ちょっと聞いてみたい気もする。