ボードゲームの雑感「カネの話再び(番外編)」

前回、前々回はボードゲームで使われている貨幣を考察した。今回はその第3段というわけではなく、ただの蛇足だ。前述の記事は、ボードゲームに絡めて、いわゆるアンティークコインについて説明するものだった。そこでおれ個人のアンティークコインの楽しみ方を開陳しようと思った次第である。

投資ブームとアンティークコイン

アンティークコインは、老後生活のための投資、という最近ブームにのってにわかに注目されている投資先の一つである。アンティークコインはもう鋳造されることはないので、(大きな規模で新たなコインの埋蔵物が発見されない限り)希少価値は上がり続け、儲かることがわかっている。マンセー!というのがその理由として挙げられることが多い。○年に買ったものが10年後は○倍に!みたいな声も多いが、なんというか胡散臭い話である。海外の富豪がアンティークコインを収集しているという事実もあるが、アンティークコインの取引価格は、それが希少なものであればとんでもない金額になるわけで、単にカネのかかる趣味、という見方もできる。好事家というものはそういう人種なので、必ずしも投資目的で集めているわけではないのだ。アンティークコインに限らないのであれば、プルーフ金貨(銀貨)と呼ばれる、純粋に収集家向けに発行される貨幣については、たしかに投資目的で買う層はいる。

あなたの財布の中にも刻まれた年月がある

投資目的でないのであれば、アンティークコインに対するおれのスタンスはどうなのか。これはもうロマンということに尽きる。どこかのコインショップのスローガンだが、手のひらサイズの世界遺産というのは言い得て妙だと思う。貨幣はもともと地金の価値が貨幣の価値として扱われていたわけだから、すぐにダメになる素材ではない。それなりに1つの貨幣が長期間市場に流通することになる。だから2000年前の貨幣が、その原型を留めたまま、未だに発掘されたりしているわけだ。それはアンティークコインだけの話ではない。今手元にある財布を開き、小銭を机の上に出してみよう。たいていの国の硬貨には発行年度が記載されているものだ。その中から自分より年上の硬貨が何割あるか確かめてみるとよい。結構な枚数が自分より長く生きていることに気づくだろう*1。財布の中にある1枚の硬貨が、作られてから今の自分の手に渡るまで、どのような旅をしてきたのかを考えると、なかなか趣深いものがあるに違いない*2

今現在使っている硬貨ですらそうした年月を刻んでいるのだから、それがアンティークコインともなれば、自分たちが知識としてもっている過去の歴史と、ダイレクトにリンクしている気持ちを味わえるということに、大した想像力は必要ないだろう。ちなみに投資目的ではなくアンティークコインを持とうと思うのであれば、欲しいコインにもよるが、ポケットマネー程度*3から購入することが可能だ。

アンティークコインに感じるロマン(おれの事例)

ここまでの話を読んでも何をロマンに感ずるのか、いまいちピンとこないロマンオンチ(なんか卑猥な感じがする)の方のために、おれの事例を話そう。

事例1:テトラドラクマソクラテスの弁明

この記事でも書いたが、おれはソクラテスが好きだ。そしてプラトンの書いた「ソクラテスの弁明」は、今まで読んだ中で一、二を争うくらい好きな本である*4。この話は、ソクラテスは若者にケシカラン思想を植え付けたかどで訴えられ、それに反論し、多数決による有罪判定、続いて行われた罪に対する量刑判断という流れで描かれている。この量刑判断の部分、原告の求める量刑(この裁判では死刑)に対し、被告であるソクラテスの提示は罰金で、貧乏な自分の持ち金と借りられる分を勘案して銀1ムナというものだった*5。銀1ムナは100ドラクマ相当とされる。写真の銀貨はテトラドラクマ銀貨で、これ1枚で4ドラクマ。25枚でソクラテスが提示した罰金分となる。

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テトラドラクマ。アテナ(城戸沙織ではない)の横顔が刻まれている。

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裏にはアテナの知恵の象徴であるフクロウ。10円玉とほぼ同じ大きさで、ずっしりと重い。

なお画像のコインは紀元前440-404年の鋳造なので、ちょうどペロポネソス戦争の期間とほぼ被っていて、アテネの凋落が始まる時期にあたる。ソクラテスペロポネソス戦争に従軍し、勇敢に戦ったが、アテネ敗戦の原因を作ったアルキビアデスの師匠と言われていたことが、ソクラテスが裁判の遠因の一つともなっている。

ソクラテスが刑死したのは紀元前399年。この手元のテトラドラクマが、もしかしたらソクラテスの触れたものなのかもしれない…と思うと胸アツである。

事例2:ディルハムアラビアンナイト

ローマ帝国が崩壊した後、ヨーロッパがキリスト教の倫理観の下、思想や学問が停滞していく中、ローマやギリシャの文明を積極的に吸収し、文化の隆盛を見たのはイスラム世界だった。イスラムが興ると、その勢力は急激に拡大した。イスラム内の教義の対立もあって、一時的にイスラム世界は混乱することになるが、その混乱を収束(というか開祖ムハンマドの系統から簒奪した)させ、イスラム王朝の基礎を築いたウマイヤ朝、さらにそのウマイヤ朝を倒して、イスラム帝国と言うべき広大な領土を治めたのがアッバース朝(750-1258)である。アッバース朝の首都バグダッドは世界で最も繁栄した都市であり、さらにその中でも最盛期を現出させたスルタンがハールーン・アッラシードだ。アラビアンナイト千夜一夜物語)が産まれた時代である。ISISとかアルカイダとかタリバンのイメージが先行するので、イスラム世界について偏った見方をしている人が多いと思うが、イスラムの根底には商業をベースとした人との交流を尊ぶ思想がある。力による征服がなかったわけではないが、それでも商業、文化を中心において繁栄したかの時代は、きらびやかなアラビアンナイトの世界そのものであったと言えるだろう*6

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ハールーン・アッラシード時代のディルハム銀貨(794年頃)。

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1円玉と同じくらいの大きさ。重さは3-4g程度。
事例3:ドゥカート~ヴェネツィア共和国

当ブログではちょくちょくヴェネツィアの話題が出てくる。理由は単純で、おれはヴェネツィアが好きだからだ。参考文献で塩野七生がよく出てくるのも、「海の都の物語」でハマったからである*7。改めて簡単にヴェネツィア共和国について触れておくと、ローマ帝国の崩壊の後、蛮族(というのは一方的な見方だが)に追われた人々が、神のお告げに従って、海の上に町を築いたことがヴェネツィアの興りで、それからナポレオンに降伏するまで1000年以上にわたって存続した都市国家である。ヴェネツィアは海に活路を見出した国で、地中海(特に東地中海)において商圏を確立し、強国となった。特に経済面での優位は群を抜いており、13世紀後半に鋳造が開始されたヴェネツィアのドゥカート金貨はほぼ純金で、最後までその金の含有率が変わらなかった。それゆえに、アンティークコインの中では流通量が多く、それなりの大きさ、デザインが判別できる状態の金貨としては比較的手に入りやすい部類に入る。

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ドゥカート金貨。縁には鋳造したときのヴェネツィア元首の名前がある。

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コインのデザインはいつの時代も同じ。50円玉と同じ大きさ。

画像のコインはトマソ・モチェニーゴ(在位1414-1423)の時代に鋳造されたもの。トマソ・モチェニーゴの時代はヴェネツィアの経済力が最高潮に達した時代で、その死の直前の演説は有名で、現代にも通じるものがある。演説ではひとしきりヴェネツィアの経済力を具体的な数値を挙げて称賛した後に、こう続く。「このまま行けば、ヴェネツィアキリスト教世界第一の経済大国であり続けることも可能であろう。そのためにも無用な戦争は避けねばならない。もしも常時戦いにあるという状態にでもなれば、今日一万ドゥカート持つ者は、明日は一千ドゥカートの主でしかなくなり、二つ家を持つ者は、一つの家しか持たないことになるのだ」(「海の都の物語(下)」塩野七生、新潮社)。戦争は、それ自体にカネがかかることはもちろん、経済活動が阻害され、さらに商売相手の離反を招くわけで、はっきりいって割に合う行為ではない。すべての国がそう考えるならば…と思わずにはいられない。

事例4:サンチーム~フランダースの犬

ここまでの3つの事例は、歴史的な背景を持つコインに対して感じるロマンであった。しかし、この最後の事例はフィクションの世界に対して感じるロマンだ。世界名作劇場フランダースの犬には、10サンチームの写生帳というエピソードがある。ある日おじいさんにお使いを頼まれたネロ少年は、アントワープで店においてある写生帳を見つける。その値段は10サンチーム。貧乏なネロには手が出ない価格だった。どうしても写生帳が欲しいネロは、木こりのバイトをして1日1サンチームのバイト料をもらうことに。10日間一生懸命に働いて、ついにネロは写生帳を買う──というエピソードだ*8。サンチームは、フランス、ベルギー、スイス等で使われていた貨幣で、centimeと綴ることからも想像がつくように、1フランの100分の1の価値だった。当時の1フラン銀貨は銀5グラム(正確には4.5グラム)なので、現在の銀の価格を当てはめると500円弱、為替レートや物価等を加味すると、まあだいたい500円~1000円の間くらい。この100分の1だから、5円~10円といったところが1サンチームだ。つまりネロが欲しがった写生帳は100円前後でしかなかった。それすらもネロにとっては大金であったのだ。画像を見てもらえれば分かる通り、1サンチーム銅貨は1円玉よりも小さい。これを10枚握りしめた少年の手は、どれほど傷つき、荒れていたのだろうか。

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1サンチーム銅貨。1円玉よりも一回り小さい。

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小さくて見づらいが、この銅貨の鋳造年は1874年で、原作が書かれた1872年とほぼ同じ。

その他、本編でも書いたが、おれは光栄の大航海時代に強い影響を受けた人間なので、ぜひポルトガルのクルザード金貨を手元に置きたいと思っている。該当するものはジョアン2世、マヌエル5世、ジョアン3世の治世に鋳造されたコインだが、状態が悪いものでも20万円近くするので、なかなか手を出せないでいる。

ロマン以外にアンティークコインはこう使え

アンティークコインはロマンだとかなんとか言っておきながら、やっぱり投資かよ!と早合点しないでいただきたい。投資や資産の保全目的でアンティークコインを保持するのでなければ、眺めて満足するだけでは?と思われる方もいるので、それ以外のアンティークコインの使い方をいくつか紹介しよう。

使用例1:贈り物として使う

まず考えられるのがこれだ。アンティークコインはデザイン性はもちろん、その背景に歴史があるので、観賞用として十分な性質を備えている。ディスプレイスタンドとともにプレゼントとして贈るのはアリであろう。そのコインを選んだ理由を添えれば、なお良しである。ちなみにおれはアンティークコインを贈り物として2人に贈っている。一人には結婚祝いとしてヴェネツィアのソルド銀貨、もう一人には誕生日プレゼントとしてローマ帝国のデナリウス銀貨である。ソルド銀貨は、その友人にヴェネツィア好きという共通点があったこと、レパントの海戦があったときの銀貨ゆえに、レパントの勝利によってその後数十年の平和を享受できたヴェネツィアの歴史と結婚生活の平穏を祈念したものである。デナリウス銀貨はハドリアヌス帝のもので、テルマエ・ロマエ好きの女性(現嫁)に、主人公のルシウスが使っていたかもしれないもの、として贈った。

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デナリウス銀貨。ハドリアヌスの横顔が見える。

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こちらはローマの神が刻まれている。

ただ単に贈るだけでは意味不明のものであっても、こうした理由をつけてコインを贈れば、喜ばれることは間違いない。場所も取らないし、何よりコインを贈る人なんてそうそういないだろうから、他人とかぶることもなくインパクトは大である。

使用例2:装飾品として身につける

アンティークコインの周囲を金属の枠で囲み、枠に鎖や金具をつければイヤリングやペンダント、あるいは飾りボタンとなり、装飾品として身につけることもできる。アンティークコインは地金が貴金属であることが多く、またデザイン性にも優れたものが多いから*9、装飾品としてもさほど違和感はない。ただし、コインのサイズに気をつけないと、招き猫の前掛けのようになってしまったり、なんだかよくわからない銀や金の粒にしか見えなかったりするので、適度な大きさで円形や四角形のものを選ぶとよいだろう。江戸時代の二朱判なんかはイヤリングにすれば、鬼を滅ぼす某ジャンプ漫画のキャラクターみたいに見えるかもしれない。

使用例3:学校現場で教材として使う

歴史の授業は、興味が追いつかなければとかく退屈なものだ。そこで扱っている題材に関連するアンティークコインを出してみる。これだけで退屈から興味に移行する学生が何割かはいるはずだ。経済の授業においてもしかり。原初の物々交換の時代から、貨幣経済へ移行した当初は地金そのものが貨幣の価値であった。そこから貨幣の価値は発行する国家の信用となり、今は国家だけではなく企業への信用(各企業が発行しているポイントカードは、実際は貨幣ではないが、その企業の商圏では貨幣と同等の価値を持っているように扱える)や数式上でユニークな数値を価値とおく暗号通貨などと、様々な広がりを見せているという貨幣経済の経緯で使ってもいいし、為替交換レートの話としてコインとコインのレートの話でドゥカート金貨を出してもいい(主要な取引相手だったトルコの貨幣は銀貨であったが、経済が不安定であるがゆえに、その交換レートは常に広がるばかりだった)。学問はやはり形として感じられるものがあると、興味が引きやすいものだ。金貨にこだわらなければ、eBayあたりで数百円だせば1000年前の銀貨や銅貨あたりはすぐに買える。そのちょっとした出費で、多くの学生に学問の魅力を伝えられるなら、それこそアンティークコインによる有益な「投資」と言えるのではないだろうか。

おしまい。

*1:ただし、戦後に通貨の切替が行われた関係で、現在流通している6種類の硬貨については昭和20年代中頃以降の発行であり、70歳以上の方が本記事を見ている場合は、ほぼすべての小銭が年下ということになるだろう。

*2:電子マネーにはそれがまったくないので、こうした感傷とは無縁であり、後の世に残るものがない時点で、単なる記号のようなもの、歴史の”外”におかれてしまうもののような気がする。

*3:アンティークコインは地金の種類、希少性、鑑定の有無、保存状態によって価格は様々だが、数の多いローマコインや中近世の銀貨はそこそこ安く買うことができる

*4:黙読でもいいが、この本は音読してさらにその素晴らしさがわかる。

*5:アテネのためを思ってやっていた行為が有罪というのであれば、それにふさわしい刑罰は迎賓館での食事(オリンピックの優勝者など、迎賓館での食事はこの上もなく名誉であるとされていた)である、とソクラテスは皮肉たっぷりに言っている。かっこよすぎる。ただしその態度が不遜であるとされ、量刑判断において死刑と判断された。

*6:ちなみにバグダットの正式名称はアラビア語で平安の都という意味である。

*7:実は高校の先輩でもあり、OB会の名簿にも載っている。

*8:木こりのバイトの前に、ハンスという性悪な大家に5サンチームのバイトを頼まれるのだが、そのバイトをこなしたネロに対してこいつは「バイト料は家賃から引いておく」と言ってカネを渡さなかった。ちなみにネロが最終的に家を追い出されたのはこのハンスのせいであり、ネロとパトラッシュの死の原因を作った張本人である。

*9:例えばヴィクトリア王朝時代のイギリス金貨ウナとライオンは世界で最も美しい金貨と言われている。