当ブログについて(はじめに)

当ブログは、管理人の趣味や日々のどうでもいいことに関する偏執的な考察をのらりくらりと述べるものです。趣味のボードゲーム和訳以外の実用性は皆無ですので、過度の期待をしたり、記載されている内容について憤激の巨人と化して荒らしまわるのはご遠慮ください。逆にネタにされかねません。

また、各記事にはたいてい広告がついてきていますが、管理人の本意ではありません。無料プランの宿命なので、その悲しきさだめに涙してあきらめてください。

以上のことをまずはご理解いただき、ご自由に当ブログ内を徘徊閲覧ください。

雑感「ドラクエ1&2の難易度調整について思うこと」

だいぶ久しぶりの記事更新である(いつものことだが)。こんな砂粒のようなブログでも、購読してくれている人がいたのであれば申し訳なく思う。
更新が滞っていたのは、別に体調不良でも更新のための時間がとれなかったというわけでもない。単に書くことがなかったからだ。おれは便秘気味なので、本来爽快感やカタルシスと共に語られるべき脱糞時の快楽を伴わない無理矢理なアウトプットは苦痛でしかないのだが(何の話だ)、それはこのブログも同じである。無理にブログ更新のための話題やネタを作って記事をひねり出すよりは、書きたくなったときに、たまりにたまった宿便(=アイディア)をドバーっと放出するスタンスをこれからも貫きたいと思う。

で、今回のクソ本題に入ろう。前回、初心者にどのようなボードゲームを勧めるかについて、その続きと宣言していたが、すっかり忘れていたので、別のテーマで書く。続きが気になっていた人には重ね重ねスマヌ。昨年(2025年)に発売された、Switchの「ドラゴンクエストI&II」の話だ。12月中旬くらいからをプレイ開始し、12月31日にとりあえずIをクリアした。まず感心したのが、以前の記事で指摘した、「漢字かな問題」がきちんとフォローされている点だ。オリジナルのファミコンではひらがな、カタカナのみ(しかも50音すべてがそろっていないというオマケ付き)であり、そのボリューム感もあって小学校低学年でも十分にプレイができた。こうしたゲームがリメイクされると、テキストは漢字化され、漢字をよく読めない年少のプレイヤーを切り捨てる格好となってしまうのだが、本リメイクではかなモードと振り仮名モード、振り仮名なしモードが選べるようになっていた。これはとてもよいことだ。年少のプレイヤーのみならず、読字に困難がある人も恩恵を受けられるのではないかと思う。

表示モードを設定したら、次は難易度設定だ(逆だったかもしれん)。難易度は3段階で、絶対にHPが0にならないモード、通常モード、高難易度モードから選ぶのだが、この点がおれが文句をつけたい点である。

まず絶対にHPが0にならないモード。これについては存在意義がわからない。一応説明としては、「ストーリーを追いたい人へのおすすめ」となっているのだが、じゃあ小説なり漫画なり動画なりで十分だ。絶対にゲームオーバーにならないのであれば、レベルを上げる、装備を整えるといった成長要素がまったく意味をなさないため、モンスターとの戦闘は純粋に無駄な作業でしかない。成長要素がオミットされると、残るのは単調なお使いイベントのみで、淡々とイベントのフラグをたててそれを回収する作業が続くだけ。苦労も何もないから達成感もない。何のためにお金を出してゲームを買ったのか、意味がわからなくなること請け合いだ。モンスターが弱体化する、獲得経験値、お金が倍になる、宝箱や道端のアイテムが地図上に表示されている、ダメージを受ける床、人食い箱やミミックといったトラップをすべて排除するといった、様々な調整方法があったのに、なぜ「死なない」という取扱いとしたのか、理解に苦しむ。おそらく上記のような調整がめんどくさかったのであろう*1。
次に高難易度モード。「いばらの道だぜ」という表記がなされているのだが、標準モードとの違いは、経験値、お金の獲得量の減少、敵から受けるダメージの増加、敵の弱点を突いたときのダメージ倍率の減少、ボスのHP増加である。これは公式による説明なので、もしかしたら表になっていない変化もあるかもしれない。一見、そんなに問題のあるような難易度調整に見えないかもしれないが、おれにとってはファミコン時代の「できるだけ長くゲームをやらせるための調整」にしか感じられなかった。

理由を説明しよう。

経験値、お金の減少は理解できる。問題なのはそれ以外だ。本作の難易度調整は、ほぼ全て戦闘面をいじることでなされている。ここで重要となる前提に、ドラクエIは、主人公1人旅であるということがある。ドラクエはコマンドバトルなので、2回攻撃といった特殊な能力がない限り(といっても、モンスター側は当たり前のように2回攻撃持ちがいる)、主人公とモンスターが素早さパラメータが考慮された順番で交互に殴り合うスタイルだ。II以降のように、複数人によるパーティでの戦いであれば、味方との役割分担やターゲット分担、素早さの考慮といった戦術の幅があるが、Iにはそれがない。ということは、敵からのダメージ量が増える調整やHPの増加は、こちらが単純に押し負ける要素だけを増やすものだ。「属性攻撃・防御などを考えた装備や、呪文、特技を駆使すればいけるのでは?」と思うかもしれないが、前述の通りこちらの属性攻撃は倍率が下方修正されてしまっている上に、一部の敵を除いて、基本的に敵はランダム行動をしてくるため、相手の行動を読み、属性防御や補助を付けた上でその隙を突く、といったこともできない。まして隙をうかがうにも敵の火力の高さで一気にジリ貧になり、回復に追われるハメになる。ボスは残りのHPが少なくなると行動パターンが変化し、いわゆる発狂モードになると威力の高い攻撃を解禁してくるので、それまでは有利に戦闘を進めていても、終盤で一気にまくられるパターンも多々ある。これは相当のストレスであった。そしてここまではあえて書かなかったが、こちらが単独なのにも関わらず、モンスターは複数で登場するというのも、高難易度モードのダメージ増と相まってストレスを増加させてくる。特にザコが複数出てくるボス戦ではこの傾向が顕著である。
他にも敵を弱体化させる呪文(道具)の効果時間が短すぎて使い勝手が悪いのもマイナスだ。3、4ターンで効果が切れる。永続しろとは言わないが、せめて6、7ターンは持続してもらいたい。典型的なパターンを示すと、敵の守備力を下げる→敵の攻撃で減ったHPを回復する→攻撃する→敵の攻撃で減ったHPを回復する→効果が切れる、というサイクルだ。ここでも敵からのダメージ増という調整によって、すぐに回復に回らなければならない影響が出ている。

前述の通り、戦闘では前準備や戦闘中にとりうる戦術の幅が狭いので、ボスが手ごわくて倒せない場合は、基本的にレベルを上げるか装備を強化する(つまりは金を稼ぐ)しかない。ところが高難易度であるため経験値、お金の獲得量は少ない。完全に負のスパイラルだ。おれはオリジナルをプレイしているから、当初は縛りの意味も込めて高難易度でプレイしていた。ところが中盤から終盤にかけてストレスが溜まりすぎ、途中から通常難易度に落としてプレイをした。それでも結構なストレスを感じたほどだから、最後まで高難易度でプレイしていたら、コントローラーを投げ出していたかもしれない。
ゲームの難易度調整は、ゲームの面白さを左右する極めて重要なファクターである。それゆえに、エレガンスを欠いた調整*2は、ゲームの価値を大きく損ねるものであることを、改めて感じた出来事であった*3。

*1:後述の通り、高難易度モードで経験値等の調整をしているのに絶対にHPが0にならないモードで調整ができなかったのは腑に落ちない。

*2:お遊びとして、理不尽とも言える難易度とするのは別に構わないのだが。

*3:まったく新しいゲームではなくリメイク作品だからこそ、難易度調整のやり方やテストに割ける時間があったはずである。ここにメーカーの怠慢を感じるのである。

ボードゲーム雑感「初心者には何のゲームを勧めるべきか」

だいぶ以前、ボードゲーム初心者向けの教育カリキュラムの作成の試みと題する記事を書いた。「試みた」ではなく「試み」なので、自分の胸中のみにとどまる「心見」であって、モノができてから書いた記事ではなく、マジでなんの意味もなく、ただただ無駄な記事であった。一応、水面下でカリキュラムの構成を考えた形跡はあるが、途中で飽きてしまってファイルの海に沈んでしまっていた。

先日のことである。職場でそこまで深く会話をしたことのなかった数人が、ボドゲカフェ行ってみようよ、という会話をしていたのが耳に入った。ご承知の通り、ボードゲームカフェは近年すごい勢いで出店され、これまたすごい勢いで閉店しているシロモノである。チェーン展開をしていて、それなりに継続しているカフェもあるものの、客層や店員によってピンキリである。下手な店舗に入ったことによって嫌な思いをしてしまい、ボードゲームそのものに背を向けてしまうことになるともったいない。
思わず「ボードゲームカフェに行くなら、4人くらいで行って、相席させないほうがいい。あとは店員にその場でおすすめを聞くよりも、ある程度こんなゲームをやりたいと決めていくとよい」と言ってしまった。変な客と相席させられるのも困るだろうし、やりたいゲームがないと、はやりのコミュニケーション系ゲームを店員にすすめられて終わったりするからだ。じゃあどんなゲームをやればいいのさ、と聞かれたので、数年前から放置されていた、初心者向けの話をサルベージする気になったわけである。

はやりのゲームを勧める店員のイメージ
(「天空の城ラピュタ」より)

初心者にゲームを勧めるときに、大前提としておれが心がけているのは、遊んだ結果、「他にもゲームを遊んでみたい」と思わせるようなチョイスをする、ということだ。そして、短い時間(もちろんルール説明を含めてだ)で少なくとも2つのゲーム、そして毛色がまったく違うものを体験できるようにしている。ルールが多すぎると、それだけでボードゲームに対する忌避感が生まれることがあるし、また似たようなものを続けてやると、すぐにお腹いっぱいになってしまうからだ*1。

次に心がけていることは、頭をほどよく疲れさせる体験ができることだ。ボードゲームの頭の使い方は、日常の頭の使い方とは異なる。ある意味、恣意的なルールという枠組みの中で、考えや行動が制限された状態で勝ち筋を見つけていくのは、ゲームならではの特徴だ。この特徴はボードゲームをやる上での面白さの要素と考えているので、絶対に運だけのゲームは選ばず、必ず考えどころがあるものにしている。一方で、運用素がゼロだと、初心者は絶対に勝てないので、それはそれで問題がある。また、考える要素が多すぎると「ほどよい疲れ」ではなくなってしまうため、もういい、となってしまいかねない。

これらの点を踏まえた上で、おれが職場の方に紹介したものが「スカウト」と「ゲシェンク」だ。

「スカウト」は、大貧民(大富豪)のように、前の人よりも強いカード(連番かペア)を場に出していくゲームだ。だから、ゲームの骨格は理解しやすい。一方で、このゲーム特有の制約条件として、「手札の順番やカードの上下を入れ替えてはいけない」が存在し、また場にあるカードを引き取れば、そのカードは自由に手札に入れることで手札が育つ、あるいは邪魔になっているカードを出すことで手札が育つ、というルールが、悩ましさを生む。初めてこのゲームをプレイした人は、最初はなんとなく手札をプレイしていくが、数手番経過すると、「ピコン!」と電球が頭の上にひらめく瞬間があり、どのように立ち回れば手札を育てられるかに気付く。それから先はきちんと考えて手札のマネジメントをすることになるため、ほどよく頭が疲れるわけである。

ひらめきのイメージ((C)スクウェア・エニックス)

「ゲシェンク」は、逆オークションともいえるメカニクスで、引き取らなければならないカードの失点と、そこに置かれたチップの損得勘定を計算しなければならないゲームだ。ただ、カードの失点とチップは点数の表裏となっているので、損得の計算が容易であり、思考の負荷はさほど高くない。このゲームの思考の負荷は、引き取ったカードが連番となったときの、失点がチャラになるルールと、自分は欲しいが相手は欲しくない場合の価格のつりあげ、さらにゲーム開始時にあらかじめ抜かれているカードによる連番の不成立といった運用素に対する決断の悩ましさがある。連番になったときの心地よさ、連番になると思っていたのに裏切られたときの意外性等、盛り上がらない要素はない。ゲシェンクについては当ブログでも取り上げているので、そちらも参照されたい。

cteam.hatenablog.com

実際に職場に「スカウト」を持っていったら、またプレイしたい、というのを飛び越えて、「買う!」という言葉をもらった。ボードゲームの布教者冥利に尽きる評価である(ゲシェンクはプレイしようと思った日に人数が少なかったので見合わせ)。

今回は時間的な制約があったため、2作ともカードゲームとしたが、必ずしも初心者にはカードゲーム、と決めているわけではない。そのあたり、初心者に勧めるにあたっての、ゲームの要素の考え方と、ゲームの持つ「楽しさ」の構造について、次回の記事に書こうと思う(さて、いつになることやら)。

*1:もちろん、ボードゲームは初めてだが、バリバリのテレビゲーマーであることを知っているならば、最初から複雑なものを勧めることもある。

雑感「ドラクエという教育ツール」

ドラクエ1~3がまたリメイクされるようだ。それはそれで別にいいのだが、いつも思うのは「テキストを通常とかな・カナ表示で選べんものかな~」ということだ。おれは人生に必要なことの大半をゲームと漫画によって学んできたし、このサイトを訪れる人の8割以上も同様であろう。

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ボードゲーム雑感「翻訳は全面的に信用できるか?」

この6月から通勤時間を利用して、創元推理文庫のラヴクラフト全集の全9巻(本編が1~7巻、別巻の上下巻)を改めて通読している。ラヴクラフトは恐怖を描くのに直接の恐怖ではなく、恐怖がほのめかす事象を丹念に描写する手法をとっているため、慣れるまでは(慣れてからも)表現がくどくて長く、大変に読みづらい。日本語ですらそうなのだから、原文はさらに読みづらいようで、全集のメインの訳者である大瀧啓裕は、文庫本1冊程度の訳なら、職業翻訳家であれば1ヶ月で完了するが、ラヴクラフトの場合は翻訳の元となるテキストの照合も相まって、半年もかかってしまうため、職業翻訳家としてはかなりのリスクを伴うものと述べている*1。

難解な文章であることは次の例を見てもわかる。ラヴクラフトの作品の中でしょっちゅう言及される書物が「ネクロノミコン」で、その著者は狂えるアラブ人と称される、アブドゥル・アルハザードの初登場作品(この時点ではネクロノミコンの作者とされてはいなかった)の「無名都市」には、次のような4行詩が出てくる。各自、和訳を試みていただきたい。

That is not dead which can eternal lie, And with strange aeons even death may die.

ちなみにDeepl翻訳にかけてみると、

永遠に嘘をつくことができるものは死んでいない。そして、奇妙な時を経て、死さえも死ぬかもしれない。

情報通信研究機構のTexTraだと、

それは永遠の嘘をつくことができる死ではありません。そして、奇妙な時間が経てば死さえも死ぬかもしれません。

という感じ。いずれもlieを「嘘をつく」と訳しているが、ラヴクラフト全集での訳を見てみよう。この4行詩は「無名都市」以外の他の作品にも登場し、収録されている巻によって宇野利泰と大瀧啓裕の訳が確認できる。まずは宇野利泰の訳を見てみよう。

永遠の憩いにやすらぐを見て、死せるものと呼ぶなかれ 果て知らぬ時ののちには、死もまた死ぬる定めなれば

ボードゲームのタイトルになっている「死もまた死すべし」は、宇野訳に近い。Deepl、TexTraでも後半部分の訳は類似性がある。一方、ラヴクラフト全集のうち3巻以降のすべてを訳している大瀧訳は次の通り。

そは永久(とこしえ)に横たわる死者にあらねど 測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの

death may dieの訳し方に特徴があることがわかるだろう。ことほどさように詩や比喩的な描写の多い作品は解釈の幅が広く、訳者の感性や言葉の選択によっていろいろな訳が生み出される。

さて翻って(翻訳だけに)マニュアルに代表される手続き的な文章は、解釈に幅をもたせてしまうと大変なことになるので、普通はこれ以外の解釈はない、という書き方がされるし、そのように翻訳されなければならない。マニュアルにはゲームの進め方と勝利条件くらいしか記載がなく、ゲームの中で都度解釈をしていくようなカードゲーム(トレーディングカードゲームやデッキ構築ゲーム)では特に重要だ。テキストが記載できるスペースに限りがあるので、アイコンも使ってできるだけシンプルな文章としなければならない。よって、こちらのほうが翻訳は楽だろう…と思いきやそうでもないのだ。

なぜか。それはもともとのルールライティングが丁寧になされているとは限らないからだ。この場合、文脈で判断できる余地のあるマニュアルであればまだマシだが、カードに記載されているレベルの文章量だと、もうBGGのフォーラムにでも投げてメーカーなり作者なりの回答を待つしかない。先日も当サイトに上げていたバトルライン(中世版)の和訳ルールにミスがあったという指摘を受けて修正をしたのだが、修正前はBGGに上がっていたカード(おそらく開発中のもの)の記載を和訳したもので、そちらは曖昧な部分がなかった。ところが現行版のカードに曖昧な表現があったのだ。

(開発中のカード)When claiming this battlefield you must discard one of your troops from an unclaimed battlefield.Place the discarded card face up on your side.

あなたがこの戦場を獲得したら、あなたは別のまだ獲得されていない戦場にある自分のカードを一枚取り去り、自分のそばに表向きに置く。

英文を見れば、ほぼ上記の訳になるだろう。ところが現行版は以下のような英文になっている。

(現行版のカード)When claiming this battlefield the loser must discard one troop card from an unclaimed battlefield.

この戦場で負けた側がカードを1枚選択して取り除くのは明らかだ。だが、自分のカードなのか相手のカードなのかがまったく不明瞭だ。バトルラインというゲームは洗面器ゲームと言われるくらいの我慢比べゲームであり、カードを置きたくないのに置かなくてはならない、またはすでに置いたカードが邪魔をする、という状況が多々ある。よって、自分のカードを取り除くのか相手のカードを取り除くのかで大きく状況が変わりうるのだ。で、このゲームを和訳シール付きで取り扱っていたショップはこう訳していた(カードの固有名は変えている)。

この戦場の敗者は、まだ主張されていない自分側の戦場から部隊カードを1枚表向きのままゲームから除外しなくてはなりません。

つまり、敗者側のカードが強制的に排除されるものとなっている。だが、本当にそうなのだろうか。そこで他のカードも確認したら、こんなカードがあった。

When claiming the watchtower(※この戦場の名前),remove one troop from an unclaimed adjacent battlefield on the opponent's side.

ここで注目したいのは、最後のopponent's side(相手側の)である。つまりこのカードを獲得したら、獲得したプレイヤー(removeに三単現のsがついていないので主語はyouである)が隣接する先生の「相手側の」カードを取り除く、と明示されている。ここで先程のカードの英文を見てみよう。opponent's sideともloser's sideとも記載がなく、ただone troop cardを取り除くとなっている。だからおれはこのカードを以下のように解釈すべきと考えている。

この戦場を獲得した際に、負けた側はまだ獲得されていない戦場から任意の部隊カードを1枚取り去り、そのプレイヤーのそばに表向きに置く。

このように解釈する意味は他にもある。この戦場は「湿地(沼地)」なので、戦場で言えばかなり攻めにくく守りにくい場所であって、要地にはならず、獲得には少なからず無理をすることになる。相手が戦術的な撤退をすることによって、他の戦場を有利にするということがあって不思議ではない。従って、負けた側が他の戦場を有利にするような選択を得られるのは理にかなっている。

とまあ、一つのカードをとってもこれなので、それこそテキストもりもりのゲームを和訳するチーム(あるいは個人)の苦労には頭が下がるわけだが、それでも100%その訳を信じる気にはなれないでいる。とはいえ日本語版があるのに原語版を買うのもなあ、というジレンマを抱えて、今日もイーオンズエンド*2をプレイすることにしよう。

*1:大瀧自身、重版印税のみでまる一年暮らせた奇跡の年がなければ、全集の第6巻の訳にはとりかかれなかったと言っている。

*2:ちなみにスタンドアロンの基本、終わりなき戦い、レガシー、新たな時代は日本語版だが、小拡張は英語版でプレイしている。これが正解…か?

kickstarterのボードゲーム和訳「Conclave」

この前アップしたプロジェクトのルールを訳したときに、バトルライン中世版のような絵柄のカードゲームのプロジェクトも目に入った。ルール分量も少ない(β版ぽい)ので、こちらも訳してみた。

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kickstarterのボードゲーム和訳「Castle UP」

そろそろBarrageのプレッジが来る頃だと思ってkickstarterを除いたら、手軽そうなカードゲームのプロジェクトがあったので、久しぶりにkickstarterモノを和訳をしてしまった。

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ボードゲームの雑感「マーダーミステリーがはやるミステリー」

ご他聞に漏れず、ボードゲームのメカニクスやジャンルには流行り廃りがある。世界のボードゲームマーケットでもあるが、日本の同人ゲーム界隈では特に顕著である。少し前は人狼と大喜利ゲーム(コミュニケーション系ゲーム)ばかりだった。人狼も大喜利もゲームデザインの際にシビアなゲームバランスを考えずに済み、盛り上がりはメンバーのせいにすることができるので、似たようなゲームが乱立することになる。仲間内で盛り上がりのハードルが低い状態で(グループで活動しているユウチュウバアによるプレイ風景とか、無理やり盛り上げなくてはならない雰囲気も含まれる)あっても、シラフでソクラテスラや我流功夫極めロードをやるのは、相当な精神的苦痛を伴うのではないかと思う。また、この手の類のゲームは最低でも5人以上は集まらなければ成立が怪しい。そもそもこれらのゲームのターゲットとしている層は、別にボードゲームじゃなくても楽しめればよいという人々なので(人狼については参加者が二極化している問題が別にある*1)、だったらわざわざ道具を用意してやるまでもなく、飲み会の定番ゲームでもやればよろしい。個人的なおすすめは「愛してるよゲーム」「たこ八」「パーマン」である。知らない人のために、本記事の最後でやり方を説明するので、興味があれば参照されたい。

*1:「人狼?何それ?面白そう!」という人々と、負けたら死ぬという覚悟で臨み、少しでもセオリーから外れた行動をする人がいれば不愉快を隠さないガチ勢という両極端なプレイヤー層になっている。

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