ボードゲーム雑感「初心者には何のゲームを勧めるべきか」

だいぶ以前、ボードゲーム初心者向けの教育カリキュラムの作成の試みと題する記事を書いた。「試みた」ではなく「試み」なので、自分の胸中のみにとどまる「心見」であって、モノができてから書いた記事ではなく、マジでなんの意味もなく、ただただ無駄な記事であった。一応、水面下でカリキュラムの構成を考えた形跡はあるが、途中で飽きてしまってファイルの海に沈んでしまっていた。

先日のことである。職場でそこまで深く会話をしたことのなかった数人が、ボドゲカフェ行ってみようよ、という会話をしていたのが耳に入った。ご承知の通り、ボードゲームカフェは近年すごい勢いで出店され、これまたすごい勢いで閉店しているシロモノである。チェーン展開をしていて、それなりに継続しているカフェもあるものの、客層や店員によってピンキリである。下手な店舗に入ったことによって嫌な思いをしてしまい、ボードゲームそのものに背を向けてしまうことになるともったいない。
思わず「ボードゲームカフェに行くなら、4人くらいで行って、相席させないほうがいい。あとは店員にその場でおすすめを聞くよりも、ある程度こんなゲームをやりたいと決めていくとよい」と言ってしまった。変な客と相席させられるのも困るだろうし、やりたいゲームがないと、はやりのコミュニケーション系ゲームを店員にすすめられて終わったりするからだ。じゃあどんなゲームをやればいいのさ、と聞かれたので、数年前から放置されていた、初心者向けの話をサルベージする気になったわけである。

はやりのゲームを勧める店員のイメージ
(「天空の城ラピュタ」より)

初心者にゲームを勧めるときに、大前提としておれが心がけているのは、遊んだ結果、「他にもゲームを遊んでみたい」と思わせるようなチョイスをする、ということだ。そして、短い時間(もちろんルール説明を含めてだ)で少なくとも2つのゲーム、そして毛色がまったく違うものを体験できるようにしている。ルールが多すぎると、それだけでボードゲームに対する忌避感が生まれることがあるし、また似たようなものを続けてやると、すぐにお腹いっぱいになってしまうからだ*1

次に心がけていることは、頭をほどよく疲れさせる体験ができることだ。ボードゲームの頭の使い方は、日常の頭の使い方とは異なる。ある意味、恣意的なルールという枠組みの中で、考えや行動が制限された状態で勝ち筋を見つけていくのは、ゲームならではの特徴だ。この特徴はボードゲームをやる上での面白さの要素と考えているので、絶対に運だけのゲームは選ばず、必ず考えどころがあるものにしている。一方で、運用素がゼロだと、初心者は絶対に勝てないので、それはそれで問題がある。また、考える要素が多すぎると「ほどよい疲れ」ではなくなってしまうため、もういい、となってしまいかねない。

これらの点を踏まえた上で、おれが職場の方に紹介したものが「スカウト」ゲシェンクだ。

「スカウト」は、大貧民(大富豪)のように、前の人よりも強いカード(連番かペア)を場に出していくゲームだ。だから、ゲームの骨格は理解しやすい。一方で、このゲーム特有の制約条件として、「手札の順番やカードの上下を入れ替えてはいけない」が存在し、また場にあるカードを引き取れば、そのカードは自由に手札に入れることで手札が育つ、あるいは邪魔になっているカードを出すことで手札が育つ、というルールが、悩ましさを生む。初めてこのゲームをプレイした人は、最初はなんとなく手札をプレイしていくが、数手番経過すると、「ピコン!」と電球が頭の上にひらめく瞬間があり、どのように立ち回れば手札を育てられるかに気付く。それから先はきちんと考えて手札のマネジメントをすることになるため、ほどよく頭が疲れるわけである。

ひらめきのイメージ((C)スクウェア・エニックス

ゲシェンク」は、逆オークションともいえるメカニクスで、引き取らなければならないカードの失点と、そこに置かれたチップの損得勘定を計算しなければならないゲームだ。ただ、カードの失点とチップは点数の表裏となっているので、損得の計算が容易であり、思考の負荷はさほど高くない。このゲームの思考の負荷は、引き取ったカードが連番となったときの、失点がチャラになるルールと、自分は欲しいが相手は欲しくない場合の価格のつりあげ、さらにゲーム開始時にあらかじめ抜かれているカードによる連番の不成立といった運用素に対する決断の悩ましさがある。連番になったときの心地よさ、連番になると思っていたのに裏切られたときの意外性等、盛り上がらない要素はない。ゲシェンクについては当ブログでも取り上げているので、そちらも参照されたい。

cteam.hatenablog.com

実際に職場に「スカウト」を持っていったら、またプレイしたい、というのを飛び越えて、「買う!」という言葉をもらった。ボードゲームの布教者冥利に尽きる評価である(ゲシェンクはプレイしようと思った日に人数が少なかったので見合わせ)。

今回は時間的な制約があったため、2作ともカードゲームとしたが、必ずしも初心者にはカードゲーム、と決めているわけではない。そのあたり、初心者に勧めるにあたっての、ゲームの要素の考え方と、ゲームの持つ「楽しさ」の構造について、次回の記事に書こうと思う(さて、いつになることやら)。

*1:もちろん、ボードゲームは初めてだが、バリバリのテレビゲーマーであることを知っているならば、最初から複雑なものを勧めることもある。

ボードゲーム雑感「翻訳は全面的に信用できるか?」

この6月から通勤時間を利用して、創元推理文庫ラヴクラフト全集の全9巻(本編が1~7巻、別巻の上下巻)を改めて通読している。ラヴクラフトは恐怖を描くのに直接の恐怖ではなく、恐怖がほのめかす事象を丹念に描写する手法をとっているため、慣れるまでは(慣れてからも)表現がくどくて長く、大変に読みづらい。日本語ですらそうなのだから、原文はさらに読みづらいようで、全集のメインの訳者である大瀧啓裕は、文庫本1冊程度の訳なら、職業翻訳家であれば1ヶ月で完了するが、ラヴクラフトの場合は翻訳の元となるテキストの照合も相まって、半年もかかってしまうため、職業翻訳家としてはかなりのリスクを伴うものと述べている*1

難解な文章であることは次の例を見てもわかる。ラヴクラフトの作品の中でしょっちゅう言及される書物が「ネクロノミコン」で、その著者は狂えるアラブ人と称される、アブドゥル・アルハザードの初登場作品(この時点ではネクロノミコンの作者とされてはいなかった)の「無名都市」には、次のような4行詩が出てくる。各自、和訳を試みていただきたい。

That is not dead which can eternal lie, And with strange aeons even death may die.

ちなみにDeepl翻訳にかけてみると、

永遠に嘘をつくことができるものは死んでいない。そして、奇妙な時を経て、死さえも死ぬかもしれない。

情報通信研究機構のTexTraだと、

それは永遠の嘘をつくことができる死ではありません。そして、奇妙な時間が経てば死さえも死ぬかもしれません。

という感じ。いずれもlieを「嘘をつく」と訳しているが、ラヴクラフト全集での訳を見てみよう。この4行詩は「無名都市」以外の他の作品にも登場し、収録されている巻によって宇野利泰と大瀧啓裕の訳が確認できる。まずは宇野利泰の訳を見てみよう。

永遠の憩いにやすらぐを見て、死せるものと呼ぶなかれ 果て知らぬ時ののちには、死もまた死ぬる定めなれば

ボードゲームのタイトルになっている「死もまた死すべし」は、宇野訳に近い。Deepl、TexTraでも後半部分の訳は類似性がある。一方、ラヴクラフト全集のうち3巻以降のすべてを訳している大瀧訳は次の通り。

そは永久(とこしえ)に横たわる死者にあらねど 測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの

death may dieの訳し方に特徴があることがわかるだろう。ことほどさように詩や比喩的な描写の多い作品は解釈の幅が広く、訳者の感性や言葉の選択によっていろいろな訳が生み出される。

さて翻って(翻訳だけに)マニュアルに代表される手続き的な文章は、解釈に幅をもたせてしまうと大変なことになるので、普通はこれ以外の解釈はない、という書き方がされるし、そのように翻訳されなければならない。マニュアルにはゲームの進め方と勝利条件くらいしか記載がなく、ゲームの中で都度解釈をしていくようなカードゲーム(トレーディングカードゲームやデッキ構築ゲーム)では特に重要だ。テキストが記載できるスペースに限りがあるので、アイコンも使ってできるだけシンプルな文章としなければならない。よって、こちらのほうが翻訳は楽だろう…と思いきやそうでもないのだ。

なぜか。それはもともとのルールライティングが丁寧になされているとは限らないからだ。この場合、文脈で判断できる余地のあるマニュアルであればまだマシだが、カードに記載されているレベルの文章量だと、もうBGGのフォーラムにでも投げてメーカーなり作者なりの回答を待つしかない。先日も当サイトに上げていたバトルライン(中世版)の和訳ルールにミスがあったという指摘を受けて修正をしたのだが、修正前はBGGに上がっていたカード(おそらく開発中のもの)の記載を和訳したもので、そちらは曖昧な部分がなかった。ところが現行版のカードに曖昧な表現があったのだ。

(開発中のカード)When claiming this battlefield you must discard one of your troops from an unclaimed battlefield.Place the discarded card face up on your side.

あなたがこの戦場を獲得したら、あなたは別のまだ獲得されていない戦場にある自分のカードを一枚取り去り、自分のそばに表向きに置く。

英文を見れば、ほぼ上記の訳になるだろう。ところが現行版は以下のような英文になっている。

(現行版のカード)When claiming this battlefield the loser must discard one troop card from an unclaimed battlefield.

この戦場で負けた側がカードを1枚選択して取り除くのは明らかだ。だが、自分のカードなのか相手のカードなのかがまったく不明瞭だ。バトルラインというゲームは洗面器ゲームと言われるくらいの我慢比べゲームであり、カードを置きたくないのに置かなくてはならない、またはすでに置いたカードが邪魔をする、という状況が多々ある。よって、自分のカードを取り除くのか相手のカードを取り除くのかで大きく状況が変わりうるのだ。で、このゲームを和訳シール付きで取り扱っていたショップはこう訳していた(カードの固有名は変えている)。

この戦場の敗者は、まだ主張されていない自分側の戦場から部隊カードを1枚表向きのままゲームから除外しなくてはなりません。

つまり、敗者側のカードが強制的に排除されるものとなっている。だが、本当にそうなのだろうか。そこで他のカードも確認したら、こんなカードがあった。

When claiming the watchtower(※この戦場の名前),remove one troop from an unclaimed adjacent battlefield on the opponent's side.

ここで注目したいのは、最後のopponent's side(相手側の)である。つまりこのカードを獲得したら、獲得したプレイヤー(removeに三単現のsがついていないので主語はyouである)が隣接する先生の「相手側の」カードを取り除く、と明示されている。ここで先程のカードの英文を見てみよう。opponent's sideともloser's sideとも記載がなく、ただone troop cardを取り除くとなっている。だからおれはこのカードを以下のように解釈すべきと考えている。

この戦場を獲得した際に、負けた側はまだ獲得されていない戦場から任意の部隊カードを1枚取り去り、そのプレイヤーのそばに表向きに置く。

このように解釈する意味は他にもある。この戦場は「湿地(沼地)」なので、戦場で言えばかなり攻めにくく守りにくい場所であって、要地にはならず、獲得には少なからず無理をすることになる。相手が戦術的な撤退をすることによって、他の戦場を有利にするということがあって不思議ではない。従って、負けた側が他の戦場を有利にするような選択を得られるのは理にかなっている。

とまあ、一つのカードをとってもこれなので、それこそテキストもりもりのゲームを和訳するチーム(あるいは個人)の苦労には頭が下がるわけだが、それでも100%その訳を信じる気にはなれないでいる。とはいえ日本語版があるのに原語版を買うのもなあ、というジレンマを抱えて、今日もイーオンズエンド*2をプレイすることにしよう。

*1:大瀧自身、重版印税のみでまる一年暮らせた奇跡の年がなければ、全集の第6巻の訳にはとりかかれなかったと言っている。

*2:ちなみにスタンドアロンの基本、終わりなき戦い、レガシー、新たな時代は日本語版だが、小拡張は英語版でプレイしている。これが正解…か?

kickstarterのボードゲーム和訳「Conclave」

この前アップしたプロジェクトのルールを訳したときに、バトルライン中世版のような絵柄のカードゲームのプロジェクトも目に入った。ルール分量も少ない(β版ぽい)ので、こちらも訳してみた。

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kickstarterのボードゲーム和訳「Castle UP」

そろそろBarrageのプレッジが来る頃だと思ってkickstarterを除いたら、手軽そうなカードゲームのプロジェクトがあったので、久しぶりにkickstarterモノを和訳をしてしまった。

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ボードゲームの雑感「マーダーミステリーがはやるミステリー」

ご他聞に漏れず、ボードゲームメカニクスやジャンルには流行り廃りがある。世界のボードゲームマーケットでもあるが、日本の同人ゲーム界隈では特に顕著である。少し前は人狼大喜利ゲーム(コミュニケーション系ゲーム)ばかりだった。人狼大喜利ゲームデザインの際にシビアなゲームバランスを考えずに済み、盛り上がりはメンバーのせいにすることができるので、似たようなゲームが乱立することになる。仲間内で盛り上がりのハードルが低い状態で(グループで活動しているユウチュウバアによるプレイ風景とか、無理やり盛り上げなくてはならない雰囲気も含まれる)あっても、シラフでソクラテスラや我流功夫極めロードをやるのは、相当な精神的苦痛を伴うのではないかと思う。また、この手の類のゲームは最低でも5人以上は集まらなければ成立が怪しい。そもそもこれらのゲームのターゲットとしている層は、別にボードゲームじゃなくても楽しめればよいという人々なので(人狼については参加者が二極化している問題が別にある*1)、だったらわざわざ道具を用意してやるまでもなく、飲み会の定番ゲームでもやればよろしい。個人的なおすすめは「愛してるよゲーム」「たこ八」「パーマン」である。知らない人のために、本記事の最後でやり方を説明するので、興味があれば参照されたい。

*1:人狼?何それ?面白そう!」という人々と、負けたら死ぬという覚悟で臨み、少しでもセオリーから外れた行動をする人がいれば不愉快を隠さないガチ勢という両極端なプレイヤー層になっている。

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ボードゲーム和訳「Dragonkeepers(Drachenhüter、ドラゴンキーパー、ドラゴンの守り人)」

2023年のエッセンで発表されたボードゲームで、思わず「おや?」と思ったゲームがあった。日本語の情報サイトでは、エッセンで発表されたゲームの紹介は重いゲームに偏るような印象がある。そんな中でカード主体で、プレイ中の写真がひときわ目を引くゲームがあった。それが「Dragonkeepers(ドラゴンキーパー)」である。何が目を引いたかというと、場の中央にある「魔導書」だ。カードで書物を表現しているだけではある。が、雰囲気は抜群だ。それだけではなく、この魔導書から手札に入れたりカードを場にプレイするためのルールを決めたりと、魔導書が中心のゲームとなっていて、意味のあるフレーバーとなっている。似たようなゲームに「Valdora(ヴァルドラ)」があり、こちらもカードを書物のように表示してアイテムや依頼を受けるという、ゲームの中心的なメカニクスとなっていた。さらにこのゲーム、「アンドールの伝説」「ロビンフッド」のミヒャエル・メンツェルが作った初めての非協力ゲームというのだから、注目せざるを得ないだろう。ちなみにルール上でゲームの邦訳は「ドラゴンの守り人」としているが、公式ではないので本エントリーのタイトルは単にカタカナで「ドラゴンキーパー」とした。

余談だが、このゲームのパケ絵を見てFF5のガルラを思い出したのはおれだけだろうか。

ガルラ

Boardgamegeekのページは以下を参照。

boardgamegeek.com

和訳ルールはこちら。別冊ルールはこちら

 

(2024/2/15追記)

ラセルダも2019年に「Dragon Keepers」というゲームを出しているようだ。こちらは日本では「ドラゴン・キーパーズ」でナカテン(・)と複数形のズがついているので、紛らわしいが区別することは可能である。ただ、やはり検索性が悪いので「ドラゴンの守り人」という邦題が浸透すればいいなー、と思っている。ちなみに「ドラゴンの守護者」と訳すむきもある。が、箱の裏の説明文が「あのドラゴンであっても、まだ空を飛んだり火を吐けない幼いドラゴンには保護が必要だ」という一節で始まっていることから、単なる守護者ではなく、幼体を守り育てるという意味が含まれていると考え、当サイトでは「守り人」の訳語をあてた。

ボードゲームの雑感「イーオンズエンドレガシーを終わらせた」

本サイトの新年1発目の記事である。が、この段階ですでに1月も半分以上過ぎていることに驚きを禁じえない。ちなみに年内最後の記事投稿や年明け1発目の投稿の場合、凡百のボードゲームサイトはたいてい「今年(昨年)遊んだ振り返り」だの「今年(昨年)遊んだゲームのランキング」だのを載せたりしているが、どのランキングもその年話題になったゲームやゲーム賞をとったものの再確認で大差がない。またビュー数が命と考えているようなサイトであれば「今年(昨年)の人気記事」なるものを載せ、総括を図ることが多いようだが、「で?」という感想以外は出ない*1。よって、本サイトではそうした記事は書かない(そもそも昨年投稿した記事が4件しかないような季刊誌的サイトではやっても無意味であるw)。

*1:その点Board Game Memoはいついかなるときも淡々と1つのゲームを紹介するのみという姿勢がブレず、さすがである。

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