ボードゲームの雑感「奉行問題とハラスメント」

協力型のボードゲームにおいて、常に話題に上るのが奉行問題と呼ばれる、一人(場合によっては数人)のプレイヤーが、他のプレイヤーの行動をすべて統制し、選択するアクションを指示・命令してしまう”問題行動”だ。こうなると、他のプレイヤーは言われるがままに行動をするだけで、実際は”奉行”が一人でプレイしているようなものであり、協力ゲームである必要がない、主体的にプレイができないからつまらない、といったネガティブな要素となる。それゆえに、ゲームデザイナーはいかに奉行問題を回避するか、システムに工夫をこらす。

しかしながら、奉行問題は常に悪なのか、悪だとすればどういった点が悪なのか、ここはひとつハラスメントという切り口で考察してみたい。

奉行問題の定義

冒頭で奉行問題の概要を80文字程度で述べたが、本考察にあたっては奉行問題をここではっきりと定義しておくこととする。

奉行問題の行動面での特徴は、

  • 特定のプレイヤー(たち)が
  • その他のプレイヤーに対し
  • 考える余地を与えずに
  • 次にやることを指示あるいは命令する

といったことがまず挙げられるだろう。そしてその影響として、

  • 指図されたプレイヤーはネガティブな気分になる
  • ゲームに勝利しても達成感がなくなる
  • ゲームに敗北したら悔しさよりも奉行に対する不満が先行する

という傾向が見られる。これらの特徴をつなぎあわせ、本考察では奉行問題を、

特定のプレイヤー(たち)がその他のプレイヤーに対して半ば強制的に行動を指示することによる、その他プレイヤーの気分、感情の阻害、ゲームに対する達成感の喪失、特定のプレイヤーへの不満を煽る問題

と定義しよう(ついでながら、定義における特定プレイヤーを以下「奉行」と表現する)。奉行問題は協力型ゲーム以外でも発生するので、定義から「協力型ゲームにおいて」という要件は外してある。なお、奉行問題と双璧をなすボードゲームにおける重要問題である「キングメイカー問題」に比べれば奉行問題は随分定義が明確なように思えるが、いずれの問題もある共通の根を持っている(ここでは深く触れない)。

奉行問題の何が問題なのか

大岡越前のごとき名奉行による采配だったとしても、奉行問題は起こりうる。ボードゲームを行う「動機」に起因するからだ。

人はなぜボードゲームをするのか。多くの人にとっては、「面白いから」「みんなで楽しみたいから」というような「楽しむ」ことがまず第一にくるだろう。それは奉行とて同じだが、奉行の中では「楽しむ=勝利すること」という強固な信念ができあがっていて、他のプレイヤーも同じ思いでいると勘違いしていることが多い。だから「負けたらツマラン、勝てる一手を打てば、みんなタノシー」と思いこんでしまい、あれこれ指図するわけだ。

しかし現実社会と違って負けても楽しさが見いだせるゲームの世界においては、勝つことだけが楽しさではない。自分の頭で考えて次の手を打つ過程ボードゲームの楽しさの基本的な柱の一つだ。加えて、他者とのインタラクションもボードゲームの魅力である。奉行はこの2点においてまったく無頓着であることが問題なのだ。

奉行問題をハラスメントとして捉えると

ここからは奉行問題をハラスメントという切り口で見ていこう。

ハラスメントについて学術的な定義のようなものはない(と思う)ため、いろいろな定義が存在しているが、一貫しているのが「嫌がらせ行為」である点だ。それ以外はシチュエーションによって接頭語がつく(立場が上の人間が下の人間に対する嫌がらせなら“パワー”、性的な嫌がらせなら“セクシャル”という接頭語)ことで個々のハラスメントについて特徴づけを行っている。奉行問題は嫌がらせにも通じるので、単純に奉行問題を嫌がらせと解釈するならば、ボードゲームハラスメントと名付けることができる行為であると言える。

ところが話はそう簡単ではない。というのもハラスメントの認定には、ハラスメント的行為を受けている当事者がどう感じているのか、という見過ごされがちな視点が存在するからだ*1。逆に、一般的にはハラスメントではないと信じられている行為であっても、当人が嫌がらせと感じれば、それはハラスメントなのだ(電車内で年寄りに席を譲ろうとしたら激昂されたという事象も、周囲にとっては暴走老人の迷惑行為に見えても、その年寄りにとってはハラスメントとなる)。

個人がどのように感じるかという点に、ハラスメント問題の難しさがあるわけだが、これは奉行問題も同じだ*2。すなわち、奉行に直接指示されるプレイヤーであっても、そのプレイヤーが楽しみを阻害され嫌な気分にならなければ、そのプレイヤーにとってハラスメントではない。一方、直接指示されるプレイヤーでなくても、奉行が他プレイヤーにあれこれ指図することを不快に思えば、奉行の行いはハラスメントになる*3。極端な話、奉行がいても全員が合意していて嫌な気持ちにならなければ、傍から見ていくら奉行の不愉快な言動があってもそこにハラスメント・奉行問題は存在しないのだ*4

奉行が"問題”ではない場合

本稿の定義では、すでに奉行問題に対してネガティブな定義をしているため、奉行問題すなわち悪とならざるを得ないが、奉行自体を悪であると定義しているわけではない。よって、悪ではない奉行も存在する可能性がある。もう一度奉行問題の定義を見てみよう。

特定のプレイヤー(たち)がその他のプレイヤーに対して半ば強制的に行動を指示することによる、その他プレイヤーの気分、感情の阻害、ゲームに対する達成感の喪失、特定のプレイヤーへの不満を煽る問題

この定義における特定プレイヤーを奉行と称しているわけだが、前半部分はそのままに、後半部分が以下のようにポジティブなものであれば奉行は問題とならない。

特定のプレイヤー(たち)がその他のプレイヤーに対して半ば強制的に行動を指示することによる、その他プレイヤーの気分、感情の高揚、ゲームに対する達成感の醸成、特定プレイヤーへの不満が起きない事象

将棋や囲碁のルールを覚えたての初心者(多くは子供)に定石を教えたりする行為は、まさにこれにあたる。これは他のボードゲーム、特にゲームデザインとして救済措置がまったくなく、序盤の失敗が即敗北を意味するようなゲームを、経験者と初めてプレイするときにも当てはまるだろう。

ただ、将棋や囲碁に比べて難しいのは、そのさじ加減だ。将棋や囲碁は何百年も研究された上で定着した定石というものがあり、その威力については、将棋や囲碁をあまり詳しく知らなくても、なんとなく理解されている。一方でその他のボードゲームはプレイされている回数が少なく、定石の"市民権”を得るに至っていない。加えて、大人になってからボードゲームを始めることも多いので、いきなりアレコレ指図されると面白くないと思われることも多々あるだろう。

また、伝え方によっても受ける印象は様々だ。何の説明もなくこうしろああしろというよりも、「食料は超重要で、決算のたびに消費されます。足りない場合は挽回不可能の失点を負うので、まずは食料を確保するところからはじめたほうがいいと私は思います」という感じで、アドバイスの理由と命令にならないような伝え方を心がければ、だいぶネガティブな印象は薄れるはずである。要は、初心者だからといって何も考えられないと決めつけず、考えるヒントを提示するだけにとどめることを忘れないようにすれば良い。職場のパワーハラスメントにしても伝え方ひとつでハラスメントになったりならなかったりすることを忘れてはいけない。

奉行問題の解決法

奉行問題の解決法は至極単純である。ゲームを始める前に、それぞれのプレイヤーは勝つことを目標とするが、それよりも第一にゲームを楽しむことを重要視し、手番においては手番プレイヤーの考えを常に尊重する。協力型ゲームであれば手番プレイヤーの考えをまず聞き、判断が割れるようであれば手番プレイヤーの判断に委ねるが、それで状況が悪化しても文句は言わず、ピンチを打開することに注力するよう心がけるだけだ。実際はこれを”奉行”に納得させることが困難なわけだが(奉行は往々にして自分の意見が通らないと「ほれ見たことか」といった態度をとって周囲を不快にしたりする)、言葉の上だけでもこうした合意を取り付けるだけでも違うと思う。少なくとも奉行に対して他のプレイヤーが「まあまあ、最初にみんなで決めたのだから、とやかく言わずにみんなで頑張りましょう」と言える雰囲気は作れるだろう(職場におけるパワハラやセクハラは、そういうことを言える雰囲気が存在しない点で回避困難である点を考えれば、ボドゲの環境ははるかにマシである)。

それでも奉行の素行が治らないのであれば、「ボドゲで負けたらFeel so sad だけど死には至らない気分はどうだい タッポイタッポイタッポイタッポイ」とTOM★CATTOUGH BOYの替え歌をみんなで歌ってやればよろしい。

www.youtube.com

それでも奉行が退かぬ媚びぬ省みぬであれば、奉行と協力ゲームを遊ぶときは凶星のデストラップやスコットランドヤードあたりの1対多の非対称ボードゲームで常に1人の側をあてがい、多人数側の仲間でワイワイ盛り上がって見せつけてやりなさい。奉行に対するハラスメントになるかもしれないが、気にすることはない。そういう人間は何をやっても不愉快になる人種なのだから、気を遣うだけバカバカしい。「死ね、ハラスメントやろう」と吐き捨てて交首破顔拳を叩き込もう。(こんな結論でいいのか)

*1:当事者以外の目には明らかな嫌がらせに映っても、当事者がなんとも思っていなければハラスメントではない。テレビ番組へ反応したトゥイートで「あれはパワハラだろ」とかご丁寧に指摘くださいますハラスメント警察とも言うべき意識高い系のイキりコメントを見かけることが多々あるが、第三者が「彼(彼女)が嫌がらせをされている」と思っていても、当人が嫌がらせと思っていなければハラスメントは成立しない。

*2:ついでに言えばキングメイカー問題もそうだ。前述の奉行問題とキングメイカー問題に共通する根っことはこのことを指す。

*3:ただ、本稿において「その他のプレイヤー(=奉行以外のプレイヤー)の気分、感情の阻害(中略)を煽る行為」と奉行問題を定義づけているので、その意味では奉行問題はそのままハラスメント行為と結びつけて良いだろう。

*4:もちろん長期的に見れば、そこに参加しているプレイヤーの自主性が損なわれることでそのプレイヤーのボードゲームに対する熱意が削がれるのであれば”問題”であることは間違いない。