本記事は前回の記事の続き…ではなく、前回の記事を書いていたときに頭に浮かんだ、正真正銘の雑感である。真面目な内容は期待しないように。そもそもこのブログを読む者は、すべての真面目さを捨てよとダンテも書いておる(嘘)。
ボードゲームの目的
これはボードゲームをする目的ではなく、そのボードゲーム自体の目的のことだが、多くのボードゲームは「勝利」を目的としている。勝敗を目的としないゲームに「アンゲーム」という名前がついているくらいだから、ほとんどのゲームは自分自身のものであれチームのものであれ勝利を目指すことが目的になっている。
ボードゲームの勝利≒ハラスメントの積み重ね
勝利を味わう人がいる一方、敗北を味わう人が出てくるのは必然だ。一般的に最終結果としていずれかがより優位な立場にいるかによって勝利と敗北が判定される。ゲームの過程における、自分にとって有利であったり、有利でなくても相手の不利益につながる一手一手の積み重ねが勝利と敗北を決めると言ってもよいだろう*1。つまり、ボードゲームは相手に対して嫌がらせをすることで勝利をつかむという側面が少なからずあるということだ。
前回の記事で見たように、嫌がらせは「ハラスメント行為」の基本要件である(定義については当該記事を参照いただきたい)。だから、ボードゲームは構造的にハラスメント行為を含んでいることになる。嫌がらせを受けたと感じなければハラスメントではないが*2、たいていのシチュエーションでは「くそー、やられたぜ」と思うわけで、ワーカープレイスメントゲームであればなおそれが明確であり、ハラスメントの要件を満たしてしまう。ワーカープレイスメントはワーカープレイスアンドハラスメントゲームと呼称しても差し支えないくらいだ。したがって、ウヴェ・ローゼンベルクはハラスメントで大成功したと言っても過言ではあるまい(過言)。
ボードゲームのハラスメントはボードゲームの面白さの根幹
ボードゲームにおけるハラスメントは、パワハラやセクハラといった社会問題になるようなハラスメントと決定的に異なる点がある。それは好悪といった感情や反射的な行動ではなく、自分の頭で考えた"合理的な判断”に基づく結果としての行動の側面が強いということだ*3。もちろんマルチのように殴り合いベースのゲームでは、嫌がらせの対象として、合理的な判断ではなくヘイトが溜まっている相手(というと聞こえはいいが、要するにムカつく相手だ)を選ぶという感情的な判断もなくはないが、少なくとも勝利を目指すことを忘れていないのであれば合理的な判断が優先される。この、「自分の頭で考える」ということがボードゲームの面白さの一つの側面であることは間違いない。検索すればお手軽に「解答」が得られる世の中は、言ってみればたいして腹が減っていないときに誰かから与えられるパンに囲まれた世界である。一方、自分の頭で考えた「回答」は、間違いなく腹が減っているときに自分の労働によって獲得したユニークなパンである。同じパンでもどちらがよりうまいと感じるか、想像力をさほど必要とするまい。
ボードゲーム、特に重量級のものをやった後の充実感は、頭を使って考えたことからくる疲労が主たる原因だが、それだけ嫌がらせを一生懸命に考えていたわけである。日常生活であればアブナイ奴としか言いようがないが、ボードゲームならば許される。
ただ、最後にこれだけは明言しておきたい。嫌がらせマンセーのボードゲームと言えど、ダーティーな手は決して称賛されず、それは正真正銘のハラスメント行為である。読者諸氏には正々堂々とした嫌がらせを心がけていただきたい。