ボードゲームの雑感「和訳するということ」

ことの発端

Simone LucianiとDaniele Tasciniの「Marco Polo II:In the Service of the Khan」の日本語版が某悪ライトからリリースされた。個人的にこの会社の出す日本語版は大嫌いなのだが、英語版がなかなか手に入らないのとBoardGameGeekに英語版のPDFルールがなかったのとで、仕方なく購入することにした。

で、つい先日アマゾンから届いたのだが、まずタイトルを見てキャオラッ!と叫びそうになった。サブタイトルが「マルコポーロ2 大いなる帰還」…間違った商品を注文してしまったのかと本気で疑ってしまった。英語版のタイトルは辞書で引いて調べても翻訳にかけても、どうしたって「ハーン(カーン)への奉公」といった意味にしかならず、実際に先行して販売されていた英語版の日本語訳つきバージョンではそのように訳されていたはずだ。意訳するにしてもセンスがない。「世界の記述(東方見聞録)」においてフビライに仕えていたマルコポーロは、十数年の奉公の後に帰国を願い出たがフビライが許さなかった。が、イル=ハン国の国王の后として選ばれた女性を無事に届けるよう命ぜられると、これ幸いと任務を果たしたその足でヴェネツィアへの帰途についたとされている(イル=ハン国へ至るまでに相当苦労したようだが)。だがこのゲームにおいてヴェネツィアは登場しない(それどころかヨーロッパすら登場しない)。加えて主な得点源であった、前作における依頼カードは、今作では「任務」カードと訳されている。任務というからにはハーンからの任務なのだろう。ゆえに原題の直訳である「ハーンへの奉公」は妥当な訳と言える。一方、「大いなる帰還」については、どこにその要素があるのか。詳しくは後述するが、ここでは一言、駄訳であると言っておく。

箱裏の説明の話が出てきたので、ここで触れておくことにするが、おれが今回一番腹がたったのは、この箱裏の説明部分にあった。英語版と日本語版の訳を見てもらいたい。

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英語版。見にくくて申し訳ない。海外のゲーム販売サイトより一部拝借。

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悪ライトの日本語版。

参考までに英語版の大体の訳は以下の通り(1段落目まで)。

マルコポーロの旅は、前作『マルコポーロの旅路』の後も続きます。大都への旅を終え、あなたの旅はいまや富と名声を求めて、ハーンのために奉公し、帝国の西の果ての領域へ派遣されるものとなりました」

オリジナルと思われるドイツ語版も英語版と大差ないことは確認している。この訳はほとんど直訳に近いものである。が、別にどこにも意訳を必要とする箇所はない。翻って、悪ライトの日本語を見てみると、でかでかと「西へと帰還します」だの「帰還がテーマです」とか言っちゃってる。おそらく「back」という単語を強く意識したのだろうが、もともと西方の人であるマルコポーロが再び西の方に移動するというニュアンスでbackを使っただけであって、いわゆるreturnという意味合いで訳すのは違うと思う。それがゆえに、「大いなる帰還」というのは駄訳であると評価したわけだ。

この部分の訳についてもう一つ、実はここが一番おれが腹を立てたところである。日本語版の1行目を見ていただきたい。

「今度はチンギス・ハーンの支援と命を受けて」

これを見た瞬間、「ああ、日本語訳の担当者は本当にテキトーな仕事しやがった」と思ったものだ。

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もちろん悪ライトはこのコマの刃牙の言うところの適当ではなく、ハンパという意味でのテキトーの方だ。(画像は範馬刃牙1巻より)

マルコポーロが仕えたのはモンゴル帝国創始者であるチンギス・ハーンではなく、前述の通り元朝創始者であるフビライ・ハーンである。なんでチンギスと思ったのかがわからない。Khanという言葉に過剰に反応し、「ジン、ジン、ジンギスカーン」のチンギス・ハーンに違いないと考えたのであればおめでたい話だ*1

ドイツゲームは家族でプレイする機会が多いため、一種の教育的な側面がある。それゆえに、史実や歴史を扱うものについては、ルールブックに登場人物の経歴や、ルールとはまったく別に小冊子がついていたりする。「Neue Spiele im alten Rom (古代ローマの新しいゲーム)」、「Thebes(テーベの東)」、「Concordia(コンコルディア)」、「Navegador(ナヴェガドール)」、「The Staufer Dynasty(シュタウファー)」、「Mundus Novus(新世界)」などはまさにそうだ。興味の入り口は何であってもよいわけで、遊びながらであれば自然に題材となったテーマに興味を持ちやすいと思う。こうした考え方に立ってみれば、この明確な誤訳は甚だ残念至極だ。ボランティアで訳を上げているならまだしも、カネもらってやっているならプロとしてこのくらいの気はつかってほしい。

ルールの誤訳ではないんだし、箱裏なんて見ないのだから、わたしは一向にかまわんッッ!という人もいるかと思うが、おれにとっては

上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき思想!!!

グラップラー刃牙 31巻より)

と切り捨ててしまいたいくらいの愚行である。シドニィ・シェルダンの日本語訳シリーズにあやかって、超クソ訳の称号をやろう。

和訳するということ

ルールを和訳するときに気をつけていることは、ルールそのものがわかりやすく伝わるように配慮しつつ、直訳から離れすぎないようにすることだ。というのも、ゲームをする上でルールの確認が必要になった場合に、意訳をしすぎるとどこをどう訳したのかがわからなくなったりするためだ。だから、「ここは箇条書きでシンプルにしたほうがわかりやすいよなあ」と思いながらも、あまりにわかりづらくなければ箇条書きにはしていない。

一方で、ルールには直接関係のない、ゲームの背景世界やフレーバーテキストは非常に訳しづらい。実際に訳すのにかなりの時間を要する。kickstarterの和訳でフレーバーテキストをほとんど訳していないのは、プロジェクトの期間が定められているため、ルール以外の訳に時間をとられるのはもったいないという理由による。フレーバー部分はルールとは違い、明確な解釈をする必要がなく、感性と語彙の世界で文章を組み立てなくてはならない。これが非常に大変なのだ。専門用語が飛び交う学術書の翻訳も大変だが、小説を翻訳するのはもっと大変ではないかと思う。読むだけならば雰囲気がなんとなく伝わるのだが、感じ取った雰囲気まで伝わるように言葉を紡ぐのが難儀なのである。

幸い、ボードゲームの和訳作業で求められるのは前者の技術ではある。しかし、ゲームに没入するために必要な材料となる背景やフレーバーも、いかにそのゲームにハマる要素となるかの重大な要素になりえる(ナヴェガドールの舞台が架空世界であれば、あれほど好きになりはしなかっただろう)。

最近の機械翻訳は精度が上がってきたので、前者のスキルについては補完が効く。後者のスキルについては対訳が可能なペーパーバック(日本語で読める童話やら古典的な名作やら)を読みあさるのがいいのかもしれない。

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ここまでする必要はない(バキ 11巻より)

*1:余談であるが、おれは光栄の「チンギスハーン 元朝秘史」の影響で世界史を選択したので、なおさら腹が立つ。